俳諧の祖、山崎宗鑑(やまざき そうかん)が興昌寺の境内に結んだ庵で日本最古の俳跡といわれています。建立は享禄元年(1528)で、その後4回ほど修復されましたがほぼ原形をとどめていて、一夜庵の屋根には宗鑑の生誕地琵琶湖の葦が一部使われています。「一夜庵(いちやあん)」の名は、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を好まなかったという次の句「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊りは 下々の下の客」にも由来しています。
住所 | 〒768-0061 香川県観音寺市八幡町2-7-2 興昌寺境内 |
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地図 | |
車 | ・高松自動車道大野原ICから車で約13分(6km) |
鉄道 | JR観音寺駅からタクシーで約3分(2km) |
のりあいバス | 1日4便です。JR観音寺駅からのりあいバス五郷高室線に乗り、運転手に「興昌寺」と告げてください。のりあいバスにはバス停がなく路線上ならどこでも乗り降り自由です。(ただし、国道11号線は指定場所以外、乗り降り禁止) |
駐車場 | あり(20台) |
注意事項 | 一夜庵の中に入るときは事前予約が必要です。 |
お問い合わせ | 興昌寺 |
- 山崎 宗鑑
俳諧の祖、山崎 宗艦(やまざき そうかん)
寛正6年(1465年)近江国(現在の滋賀県草津市)で生まれ、本名を志那範重、通称を弥三郎といわれていますが定かではありません。室町幕府9代将軍足利義尚に仕えましたが、義尚陣没後、出家し山城国山崎に「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれました。時流行した貴族文学の連歌や和歌に飽き足らず、これを簡素化した俳諧・俳句を生み出したことから、俳諧の祖とされています。一夜庵での創作活動は活発で、多くの俳人が彼を訪れました。晩年「ヨウ(できもの)」を患い天文22年(1553年) 10月2日、89歳で亡くなりました。辞世の句は「宗鑑はいづくへと人の問うならばちとよう(ヨウ)がありてあの世へといへ」